今回はアラフォーママゆうちんの子供時代についてです。
わが家には小3長男トッタ【発達障害ADHD】小1長女ナッタン【自由人】の兄妹がいます。
そのお母さんがゆうちん【発達障害ADHD・自由人】です。
長男トッタは小学1年生の時にADHDと診断され、月に1回通院して、毎日薬を服用して学校に通っています。
小1の頃は問題行動も多く、担任の先生、支援の先生、市の支援相談員の方、教頭先生、校長先生と何度も話し合いをしました。
みんなと普通に授業を受けることができず、トッタの将来に不安しかない時期もありました。
今は薬の服用によって少しずつ落ち着いて過ごせるようになり、通常学級で勉強をしています。
トッタ小1の1年間は濃すぎて正直思い出したくない事ばっか…
精神的にかなりきつい1年でした😭
でも、その1年で発見したこともあります!
それが…
私もADHDだったじゃーん!
というのも、トッタが小1でぶつかったさまざまな問題や壁は、私も小学生の頃に経験したことばかりだったんです!
息子の問題やトラブルに一緒にぶつかっていく中で、自分の子供時代を思い出して、封印していたはずのトラウマも思い出したりして…
トラウマの中でも、子供ながらにかなり深い心の傷を負った経験についてお話します。
生涯「先生」を嫌うことになったワケ
私は先生が嫌い。教師という職業についている大人が大嫌い。
これは極端な言い方ですが、学生時代は少なくともそうでした。
今は子供たちの担任の先生が、一生懸命子供たちの事を考え接してくれるとてもいい先生で、本当にありがたいですし、感謝しています!
世の中にはいい先生もいるんだなとアラフォーになって知ることができました。
ただ私が子供時代に出会った先生にはいませんでした。1人も!
問題児は、どうしても問題児
ADHDの大きな特徴として「多動性」「注意欠如」があります。
みんな同じではなく、多動はあるけど注意欠如はあまりないとか、その逆とか、どちらもなど。
多動性とは
- 落ち着きのない子
- 授業中立ち歩きをする
- じっとしているのが苦手
- 突発的な言葉や行動が多い
注意欠如とは
- ミスや忘れ物が多い
- 集中力が続かない
- 話しかけられても上の空になりやすい
などの特徴です。
学校生活でいう「問題児」です。
私もどちらの特徴もあり問題児でした。
入学当初から椅子に座ってじっとしていられず、授業中に立ち歩きをしたり、ずっとしゃべってたり、教室から逃走したり😅
毎日注意され、怒鳴られ、叩かれました。
やばいですよね!昔は普通にみんなの前で顔を叩かれたんです。今じゃ大問題!
もちろんすべての小学校、先生がそうだったわけではないですが…
「問題児にも寄り添う」なんて雰囲気も指導もゼロ!
1度「問題児」になると先生も周りの大人もまともに接してくれない。
話も聞いてくれない。
ケンカも多かったけど、決めつけで叱られるのは私ばかり。
誰かが泣くと「あいつのせい」にされる。
「違う!」って言ったところで聞いてもらえない。
2年生になるころには先生も大人もみんな「大嫌い」でしかなくなっていましたね。
問題児は、どうしても問題児なんだ…
まだ小学校低学年の私はひどく傷つき、大人に絶望しました。
家で布団にくるまって泣いていたころの苦しさは、今でも消えません。
でも、親には問題児だとバレたくないし、心配させたくなくて言えませんでした。
自分を守るため大人に反抗
毎日のように心を傷つけられる日々の中で、どうにか自分を守るために私が選んだ方法は、大人への反抗でした。
大人に反抗して、いいなりにならないことで、大嫌いな大人を否定して、自分だけは自分の味方でいようとしました。
その結果は想像通り「問題児」から「大問題児」にレベルアップ笑
学校のブラックリストに登録ですね😅
それでも自分は大人に負けてない!と思うだけで傷つかなくなっていきました。
こんな問題児でも一緒に遊んでくれる友達はたくさんいたので、放課後の時間は楽しかったし、学校には毎日通っていました。
教師も人間…でも一生許さないからな
そして小学3年生になって少したった頃、事件がおきました。
一生消えないトラウマの原因です。
担任は教師1年目の若い女の先生でした。
声も大きく、気の強そうな雰囲気。
もちろん私は反抗しまくっていたので先生には嫌われていたと思います。
ある日から、先生の物が無くなることが続きました。消しゴムやペンなど。
終わりの会で先生がみんなに話し「正直に名乗り出てきたら怒らないので、放課後先生の所まで来てください」と。
もちろん誰も名乗り出ませんでしたが、だいたいの犯人はわかっていました。
普段からいたずら好きの男子たちが掃除の時間などに教卓の周りに集まっていたので。
数日後、また男子たちが先生のいない掃除の時間に教卓の周りに集まっていました。
しかし今回は女子も数人集まっていたので興味本位で見に行ってみました。
やはり男子たちが教卓の上にあるものを触っていました。
女子はそれを見てるだけ。私も見て友達と話していると、男子たちが逃げて行きました。
私が後ろを振り返るといきなり先生に顔を叩かれました!2回も!

あまりにも突然の事に立ち尽くしていると、周りの子はいなくなっていました。
先生は教卓の近くに立っていた数人の生徒から私だけを犯人だと決めつけ、ものすごい大きな声で怒鳴り散らして顔は鬼そのもの!
先生の唾が飛んできて、ものすごく不快だったことをはっきりと覚えています。
もちろん「違う!」と言いましたが聞いてもらえません。
周りにいた生徒は静かに見ているだけ。
誰も私をかばってはくれませんでしたが、あんなに怒り狂ってる大人に向かって何かを言いに行ける子供はいないと思うから、しかたない。
叩かれた痛みよりも、やっていないのに大人に決めつけられ、叩かれ怒鳴られている事が、そしてそれをみんなに見られていることが悔しすぎて涙が止まりませんでした…
トイレに駆け込むと口の中が切れていて、何度も水道でうがいをして、涙を洗って、みんなが帰った後に教室に戻りました。
こんな自分の姿を誰にも見られたくなかったのです。
私の自尊心はズタボロにされました…
家に帰ってからもショックのあまりご飯を食べることもできず、布団から出ることができません。
次の日は体調不良で休みましたが、親には本当の事は言えず。
「娘が学校で問題児で、犯人扱いされて叩かれた」なんてぜったい親には知られたくなかったんです。
もちろん今では大問題になりますが、当時私が黙っていたので問題にならず。
担任が変わるまでの1年間は毎日が苦痛で、担任の顔をみるたび思い出して、心の傷をえぐられる思いでした。
アラフォーでもまだはっきりと覚えていて、当時の悔しさも痛みも鮮明に思い出します。
本当に一生消えることのない傷です。
教師も人間なので、間違うことも、ストレスでイライラすることもあると思います。
「でも一生許さないからな!」と思っています。
もし自分の子供がこんなことをされたら、気が狂ったように学校に怒鳴り込みに行くでしょう。
子供に話してもらえる親でいよう
時代も違うし、学校や先生にもよりますが、私が親に話せていたら、「助けてほしい」と言えていたら、私の学生時代ももう少しマシだったのかもと思うことがあります。
問題児はみんなにとって迷惑な存在で、自分勝手と思われてしまいます。
でも、問題児も困っていることを知ってほしいです。
「みんなと同じ」にしようとしてもできないもどかしさで、自分が嫌になっていることを知ってほしい。
問題児も「みんなと同じ」人間であることを忘れないでほしい。
わが家にはADHDの長男トッタがいますが、学校のことや友達との出来事をよく話します。
そして私の小学生の頃の話もして、トッタと同じ気持ちだったことや、いろんな失敗をしたことを伝えます。
するとトッタはいつも安心した顔をします😊
誰か1人でもいいから自分の事をわかってくれる人がいる。
自分を認めてくれる人がいる。
それだけで十分だと思います。
私が子供の頃にしてほしかったこと、言ってほしかったことを伝えるようにしています。
そして、苦しみながらも大人になって思う事。
学生時代は出会いの当たりはずれがある!
みんなと同じを求められることが多いけど、みんなと同じじゃなくてもいい。
学生時代を「なんとか乗り切ってほしい!」笑
学生時代が暗黒期だったママにはこれしか言えん😅
小言が多かったり、たまに鬼ババになるママだけど、これからも子供たちが学生時代を乗り切れるよう見守っていきます✨